海を望む本棚から

海を望む街に住む、本と音楽を愛するとある人の気ままな物語です

作家とは、人を愛するとはー ”ストーリー・セラー”

さて、今回は今までに読んだ本の話を少し。

本の話第一弾に選んだのは、有川浩さんのストーリー・セラー。

有川浩さんの本では図書館戦争シリーズや県庁おもてなし課、ドラマ化や映画化された空飛ぶ広報室や植物図鑑、阪急電車など、本好きや有川ファン以外にも知れ渡る有名な作品が多くあるためか、比較的マイナーな印象を受けるこの本。この本との出会いは中学生の時でした。

まだ子供だったときに思ったこと

中学生の時、有川浩さんのファンだった友達に「有川浩さんの本を読んでみたら」と言われて初めて読んだのが”空の中”でした。その後、ほかの作品も読むようになり、当時単行本として出版されている作品のだいたい半分くらいを読んだころだったかに出会ったのがストーリー・セラーでした。

ストーリー・セラーは、2部構成でつながりがありながら別個の2つのストーリーで構成されている本でした。はじめて読み進めたとき、これはどんな話になるのだろうと感じながらでした。さてそんな中第1部、side.A、を読み終わりつつあるとき、気が付くと涙が流れている自分がいました。それまでに数々の物語を読んできて、涙しそうになったことは多少あれど、気が付いたら涙が流れていたことなど、そうそうありませんでした。

その当時何を思って涙を流したのか、それはその時から謎であった。自然に、論理を超えて流れた涙に言語化された理由を求めるほうが間違っているのかもしれない。ただ一つ言えるのは、人を愛するということ、表向きの表情とは違う顔を愛する人には見せたり見せなかったりする、まだ子供だった私にはいろいろな意味でインパクトの大きなものだったのであろう。

それ以来、たびたび読んでいるのだけれど、読むたびに少しずつ見方は変わっていった。ここからは今、私が思うことの話。

人を愛する、誰かを想う

第1部も第2部も、誰かを愛すること、さらに愛する人を支えるとはどういうことなのかを考えさせてくる、そう感じました。

作家の妻を、どんな時でも支えていく夫。傷つきながら進んでいく妻を癒す夫。自分の編む物語を好きだと言ってくれる夫に最後まで物語を編みたいと、書けば書くほど自分の寿命が短くなるのに書き続ける妻。

あるいはまるごと受け入れ、自分のできることをどんな状況でもする。相手を想い、何かをしたいと思う。

誰かに恋をする、恋愛の好きとは違う、愛するという形。そのいろいろな支え方を見ることができる。人それぞれ、その時々、どう支えられたいのか、どう支えられるのか、それは異なるけれど、相手のことを想い、愛する。それが生きていくのにどれほどの救いとなるのか。語りかけてくれているように感じました。

支えあえる人、人生の考え方は人それぞれですが、大人になり、これからの人生を生きていくという時に大切になる、そう私は思います。

あと、これは本筋とは関係ないのですが、現代の結婚生活のキーとなるような部分を見出すことができます。共働きが主流である昨今、しかし家事育児などは依然、女性側の負担が大きいことが多々あります。結婚して楽になる、と期待するから破綻する。一人暮らしが縒り合わさるだけ、生活上何かが楽になるわけではなく、精神的に支えあえる人が隣にいることがメリットだ。このようなことをこの本の中で見つけた時、すごくはっきりと書いているな、という印象でした。しかし、考えてみるとたしかに、と思うのでした。

こんな考えでお互いが自然といろいろ協力できると家庭はうまく回るのだろうか。まだ未婚の私にはそこまでは論じることはできない。けれど、そういう人と結婚したいものです。

作家とは、いったい

この小説にも言及されていますが、本好きの人ならだれでも一度は物語を編みたいと考え、あるいはそこから実際に書いてみたりして、「ああ、私は物語を”書く”側の人間ではないんだ。”読む”側の人間なのだ。」そう実感した人が多いのではないでしょうか。かくいう私もその一人です。

小学生のころ、「私もこんな作品みたいなものを作ってみたい!」と思い、作ってみたこともありました。しかし、出来上がったものは到底小説と呼べるものではなく、かろうじて小説と呼べそうなのものは、これまで読んできたもののオマージュみたいなものでしかなかった。

そんなことがあり、私は”読む”側の人間であると実感したものの、ある疑問は浮かんでくるのです。では、”書く”側の人間はいったいどんな風に考えているのか。

作家というものが、どれほど考えているのか。アンテナを広げて何かを集め、そしてまた考える。この考える作業の途方もない繰り返しの果てに、あの多くの作品があったのかな、と考えたり。

日常の何でもない言葉を拾い、見つめていくことでなにか奥に物語が見つかるのかもしれない。たとえ物語を編まなくても、いつもとは違った日常を味わえるかもしれない。そう考えると何気ない日常がもっと愛しく感じるかもしれない。

それではまた会う日まで、お元気で。